【訃報】長嶋亜希子さんが死去
【訃報】長嶋亜希子さんが死去
長嶋茂雄さんの妻、長嶋亜希子さんが18日午前4時33分、都内の病院で心不全の為、お亡くなりになられました。享年64歳だった。あの偉大な長嶋茂雄を選手時代、監督時代と支えてこられた長嶋亜希子さんは、長年、膠原病という難病を患っていて、入退院を何度も繰り返しておられたようです。ミスターも3年前に脳梗塞で倒れられ、少しずつ回復してきたというのに、これから夫婦でやりたい事もあっただろうにと、ミスターの気持ちを考えると心が痛みます。心よりご冥福をお祈り致します。
■長嶋亜希子(ながしま・あきこ)プロフィール
1943(昭和18)年1月5日、東京都生まれ。旧姓西村。雙葉中在学中に留学、64年に米ミネソタ州聖テレサ大卒業。同年10月の東京五輪でコンパニオンをつとめて当時巨人の選手だった長嶋茂雄と知り合い、65年1月26日に結婚。2男2女の母親として家庭を支えた。
■膠原病と長嶋亜希子さん
◇膠原病とは
全身のコラーゲン(膠)にフィブリノイド変性(病理組織学的に強い好酸性と屈折性を示す均一な構造物)が見られる一連の疾患群の総称として1942年に定義された。
のちに、コラーゲンの変性が病態の本質ではないことが明らかになり、膠原病という名称が不適切であるということで、結合組織病(けつごうそしきびょう)とも呼ばれるようになったが、日本では膠原病の名称で呼ばれることが多い。
◇膠原病の原因
体内の血液中の抗体が自己の細胞の核などと反応して免疫複合体を作り組織に沈着したり、全身の関節・血管・内臓などを攻撃することで発病すると考えられている。
◇膠原病の症状
主症状として発熱・倦怠感・関節痛・レイノー現象などがある。
慢性に経過し、寛解と再燃を繰り返しながら進行することがある。多くの場合に自己免疫疾患としての機序が関与していると考えられているが、完全な病態の解明はなされていない。
◇膠原病の治療方法
有効な治療法は見つかっておらず、現在の日本の最新医療技術をもってしても完全に治す事は不可能だと言われている。ただ、ステロイドや消炎剤などを使用することにより炎症がある程度抑制され、日常生活に支障のない程度にコントロールすることは可能。 最近では漢方薬などの治療法もあり、ステロイドだけでは制御できない症状、および別の手段として取り上げられている。
■【訃報】長嶋亜希子さんが死去関連ニュース
◇長嶋氏、遺体から離れられず…亜希子夫人が心不全のため急死
巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(71)の妻、亜希子(あきこ)さん=写真下=が18日午前4時33分、心不全のため都内の病院で死去した。64歳だった。17日に長男・一茂氏(41)の家族と夕食をともにしたが、帰宅途中に気分が悪くなり、病院に運び込まれていた。陰で支えてくれていた妻の急逝にミスターはこの日姿を見せず、自宅で遺体に寄り添って別れを惜しんだ。なお葬儀は近親者のみで行う。
◇
突然の悲報だった。球界のスーパースターを支えてきた亜希子さんが、帰らぬ人となった。
「病院では一度も意識が戻らなかった。(前日は)食事も一緒だったんですが…」
長嶋氏の自宅前でこの日夕方、長男・一茂氏が青ざめた表情で報道陣に対応した。64歳。あまりにも早すぎる母の死に時折、声を詰まらせた。
前日17日は『敬老の日』。亜希子さんをねぎらうため、一茂氏の妻・仁子さんと双子の子供、さらに仁子さんの母らを交え、都内のホテルで夕食会を催した。ところがその後、一茂氏の自宅でお茶を飲み終えた亜希子さんは自宅に戻る車中で気分が悪くなり、容体が急変。そのまま渋谷区内の病院に運ばれたが、意識はなかったという。
連絡を受けて病院に駆けつけた長嶋氏が「亜希子、亜希子」と呼んだが、返事はなし。3年前に脳梗塞(こうそく)で倒れた長嶋氏は看病による体力消耗が懸念されて自宅に戻り、翌朝一茂氏ら4人兄弟が見守る中、亜希子さんは病院で息を引き取った。
「私の車で自宅に送ろうとしたが…。途中で呼吸が苦しそうだった」と一茂氏。数年前から膠原(こうげん)病や循環器系など、複数の持病に悩まされていた亜希子さんは、ここ数年入退院を繰り返していた。
亜希子さんは64年東京五輪のコンパニオンを務め、新聞の企画で対談したミスターが一目ぼれしたことがきっかけで、翌65年1月に結婚。球界のスターとして君臨する夫を陰ながら支えてきた。勉強熱心で、巨人の長嶋第2次政権がスタートした93年以降はコーチや選手の夫人を集め、栄養士らによる講習会を開催。シーズン後には選手夫人に、色違いのスカーフをプレゼントする気配りを見せるなど『巨人の母』的存在だった。長嶋氏が監督を退任すると、2002年からは地球温暖化問題に関する政府の『環(わ)の国の暮らし会議』のメンバーとしても活躍した。
かけげえのない存在だっただけに、ミスターのショックは計り知れない。脳梗塞で倒れてからはお互いに健康状態が悪いため、別々の家で暮らすこともあったが、この日は自宅に戻った亜希子さんのなきがらから離れることはなかった。「(父を含め家族は)ずっと母の近くにいます。まだ現実を受け入れられない」と話した一茂氏。葬儀は亜希子さんの遺志で、近親者のみで行われる。
★ミスターひと目ボレ
1964年11月に婚約発表。翌65年1月に挙式したミスターと亜希子さん。長嶋氏は当時「僕は個性がハッキリしていてしかも日本女性らしいしっとりした感じの人を妻にしたいと思っていた。亜希子さんはそういう人だが、本当をいうと、会ったとき、ひとめボレをしたんです」とゾッコン。亜希子さんも「お会いして人柄にひかれました。やわらかくて、厚味のある包容力とでもいいましょうか。一緒にいると楽しくなる。陽気な人だという印象を受けました」とラブラブだった。
★ソフトバンク・王監督「大変な人生だった」
ソフトバンク・王監督は訃報(ふほう)を午前中のテレビのニュースで知った。「子どもを4人生んで立派に育てて、大変な人生だったと思う。女性は長生きするというけど、ウチの女房もミスターの奥さんも先に逝ってしまった。お互いに神経をつかわせてしまったのかな」。亜希子さんとは現役時代から親交があり、ミスターとのなれそめに関しても「東京五輪のコンパニオンをしているときに、一目ぼれしてね。長嶋流のアタックで結婚したんだ」と懐かしそうに当時を振り返った。
★ヤンキース・松井秀、亜希子さんとの思い出振り返る
ヤンキース・松井秀喜外野手(33)はオリオールズ戦(ニューヨーク)終了後、亜希子さんの訃報に接し「非常に残念です。思い出はたくさんありますね」と振り返った。巨人時代、試合前に都内の長嶋邸で素振りを行ったが、場を和ませてくれたのが亜希子さんだったという。「手料理を作って、待っていてくれるんです。朝もたくさん食べて出かけるのですが、それでも入ってしまうほどにおいしい。最後にフルーツをたくさん運んできてくれて『松井君、きょうも頑張ってきてね』って。汗まみれになったシャツやスパッツまで洗濯していただきました」。06年2月、都内の中華料理店で長嶋夫妻と出合ったのが最後。長嶋氏によるゴジラへの熱血指導は、母のような亜希子さんの優しさに支えられていた。
◆巨人・原監督
「あまりにも突然の知らせに、ただ驚いています。長嶋名誉監督、また球団代表特別補佐の一茂さんのご心痛、いかばかりかとお察しいたします。ご冥福(めいふく)をお祈り申し上げますとともに、名誉監督にはくれぐれも力を落とされませんよう、お願いするばかりです」
◆阪神・星野仙一オーナー付シニアディレクター(SD)
「顔を合わせればあいさつする仲だった。64歳か。早いよな。王さんのところも、長嶋さんのところも。監督の奥さんは一緒に戦っているから、ストレスがあるんだろうな。ご冥福をお祈りします」
(サンスポより引用)
